愛が足りない。
愛が足りない。だからこの大学がある。【德山 詳直(元理事長、1930-2014)、『藝術立国』(2012年)】
発砲スチロールの船
芸工大の本館前の水場に発砲スチロールの船を浮かべたこと。今でもまたやりたいと思うくらいに楽しかった。【高校生】
一回目の人生の転機
私の一回目の人生の転機が幼稚園の時期でした。(中略)こども芸大はいつまでも私の原点です。【高校生】
創造力が養われた
自分で考えて何かを作ったり友達と協力したりする機会がたくさんあり、かなり創造力が養われたと思います。【高校生】
サンマの干物
節分の季節になると必ず入り口に鬼を入れないためサンマの干物を飾っていた【大学生?20代】
こ芸の縁の深さ
こ芸で出会って小中と離れていた友達と高校で再会して今もつながりがあるので、こ芸の縁の深さを実感しています。【大学生?20代】
学生さんと一緒
学生の方々が子供が遊ぶために制作してくれたもので学生さんと一緒に遊んだ【大学生?20代】
こども芸大
こども芸大に通えて本当に良かったです。全ての思い出が大切な宝物です。【大学生?20代】
影絵制作
参加したビエンナーレの影絵制作が思い出深いです。親子合わせクラス全員で作り上げた過程や達成感は素晴らしいものでした。【保護者】
かわいいこの時期
かわいいかわいいこの時期のこどもたちと、めいいっぱいこども芸大を楽しんでください!【保護者】
母の日に
母の日にくれたメッセージが、こども芸大に連れてきてくれて(入園させてくれて)ありがとう、というものでした。【保護者】
感謝でいっぱい
あたりまえだったことへの感謝でいっぱいのなんとも言えない気持ちになりました。【保護者】
心の根っこ
大きくなるにつれてこども芸大に通っていたときの記憶はどんどん薄れていきますが、あのときに育てた心の根っこはそのまま残っています。【保護者】
6年間
兄の送迎で3年間、そのあと入園して合計6年間通わせてもらいました。【保護者】
泣いて笑って
泣いて笑って、その1日があなたのこれからにとても大切な一日になります。【保護者】
日曜日の朝
日曜日の朝がくるたび、娘は「今日もこども芸大行きたい!」と言っていました。【保護者】
挑戦する気持ち
友達を思う気持ち、やってみようと言う挑戦する気持ちは、ここで育ててもらいました。【保護者】
思っている事を人に話す
思っている事を人に話す、話してもイイと知れた事。おかげで、今があると思います。【保護者】
池の上を歩いた
学食前の池が凍り、みんなで池の上を歩いたことです。【保護者】
小学生と中学生
今でも「こども芸大が一番楽しかった」と話す小学生と中学生です。【保護者】
毎年のおたのしみ会
毎年のおたのしみ会。その名のとおり、今年はどんな姿が見れるかな?と楽しみにしていました。【保護者】
芸大はなんか「自由」
前の幼稚園は嫌だったんだよな?その点こども芸大はなんか「自由」って感じがしてさ!!と満足そうな顔で振り返ってます。【保護者】
卒園後に
卒園後にこども芸大の友達と遊ぶ姿を見てると、お互いのことわかりあってて同じ気持ちで遊んでいるのはとてもいいなぁ!と再認識しました。【保護者】
心が安らぐ
こども芸大で過ごした日々を思い出すと心が安らぐ、そんな大切な場所にこども芸大がなりますように。【保護者】
愛しい3年間
私の人生の中で、愛しい、愛しい3年間です。【保護者】
非日常の特別感
非日常の特別感から連想されて、山寺も、花を買いに行ったのも…とどんどん出てきました。楽しかった思い出がいっぱいで、嬉しくなりました。【保護者】
宝石みたいに貴重な時間
春夏秋冬、寒い朝も暑い日も車で送り迎えしながらその日のことを話してくれたり一緒に歌を歌ったり…そんな日々や時間がどれだけキラキラと宝石みたいに貴重な時間だったのかと…今になって思い出すたびに胸がぎゅうっとなります。【保護者】
悩んで迷っていい
目には見えない大切なものを育んでくれる場所、それが子ども芸大です。楽しい!だけじゃなく悩んで迷っていい。【保護者】
いつもこどもたちに
いつもこどもたちに目を向けて見守って下さりありがとうございます。【保護者】
さんかくおやね
二人の娘が大変お世話になりました。二人とも遠くから「さんかくおやね」を見ると懐かしい、あの頃に戻りたいなぁ?と言っています。【保護者】
先生になって
先生になってこども芸大に帰ってくるからね!【保護者】
毎日全力
お友達と毎日全力で遊んだこと。【保護者】
安心して入園
みなさん優しくて安心して入園し、園生活も楽しく送れた【保護者】
こども芸大の母たち
子どもの表情や成長をこども芸大の母たちが見逃さずに見ていてくれた【保護者】
肯定できる力
誰とでも親しくなれる、自分を肯定できる力は、先生たちが愛情をもって関わってくださったから【保護者】
感性が豊か
小学生になった娘は、子ども芸大のおかげで、感性が豊かに思います。【保護者】
こども達の作品
こども達の作品はとても想像力と発想力があり驚きました。【保護者】
子どもの目線
子どもの目線に立って一緒に楽しむことが1番大事だったんだな、と気付かされました。【保護者】
濃密な日々
どんぐり日記、オフィスアワー、結通信の編集、大学の講義、母親講座、毎日のように楽しんだ学食での母との交流???なんと濃密な日々!【保護者】
五感をフルに
毎日、自然と一体になって遊んでいました。身体、五感をフルに使って過ごしていました。【保護者】
部活の仲間のように
母達もまるで部活の仲間のように、ぎゅっと濃厚な関係でキャラを活かしあって楽しく日々を過ごしました。【保護者】
坊主頭
転園するお友達との別れが寂しい息子は、ある決断をしました。「僕も、○○くんみたいに坊主頭にする!だって、僕たちは仲間だから!」【保護者】
広い敷地
芸工大の広い敷地で毎日走り回って楽しく過ごせた事が思い出です。園での生活のおかげで身体を動かす事、想像力を働かせる事が大好きになりました。【保護者】
表現する力
子ども同士で話し合い、相手を思いやったり、自分の気持ちを表現する力が日々の保育の積み重ねで身につきました!【保護者】
おにごっこ
まいにち、あそぶのがたのしかったよー。せんせいとともだちとおにごっこをしてあそんでたのしかったねー。【小学1年生】
熊かパンダ
みんなで水遊び。熊かパンダを竹の中で見つけたこと。みんなでお外に散歩に行ったこと。【小学1年生】
みんなでリズム
みんなでリズムをしたことや、だいちTシャツを作ったことが楽しかったです。【小学1年生】
ダンボールでパソコン
仲良しのお友達でダンボールでパソコンを作って遊んだことが楽しかったです。【小学1年生】
キラキラの思い出
たーくさん遊んだこと、キラキラの思い出です。【小学2年生】
いろいろなことがぜんぶ
いろいろなことがぜんぶ楽しかったです!【小学2年生】
劇の制作
お楽しみ会や劇の制作、みんなで力を合わせて頑張って作った事が楽しい思い出です!【小学2年生】
劇場でのリズム
劇場でのリズムで思いっきり走ったこと【小学2年生】
アリの巣を小枝
思いつく遊びは全部試していて、なにで遊ぼうか考えたあと、アリの巣を小枝でほじくっていたのを覚えています。【小学3年生】
BBQごっこ
だいち組になってBBQごっこが出来るようになったのが嬉しかった!【小学3年生】
おままごと
先生やお友達とおままごとやお絵かきをしたことが思い出に残っています。【小学3年生】
いろいろな季節
みんなと丘で走り回って遊んだこと。いろいろな季節を感じて遊んだのが楽しかったよ。【小学3年生】
服に絵を描く
服に絵を描く。散歩に行ったこと。【小学4年生】
野山を探検
友達と野山を探検したこと。【小学4年生】
桑の実を食べて
春は桜の実でネイルごっこ、夏は木にのぼり桑の実を食べて、秋はいろんなどんぐりを拾って、冬は雪遊び。【小学4年生】
山寺
みんなで山寺に行ったこと!電車に乗ったり、買い物したり川で遊んでお弁当食べてとっても楽しかった!【小学4年生】
和太鼓
丘でいっぱい遊んだこと!学生さんの作品で遊ばせてもらったこと!和太鼓!【小学4年生】
作ったお話で劇
自分達で作ったお話で劇をしたこと。皆んなで頑張った達成感を今でも覚えている。【小学4年生】
電車で冒険
山寺まで電車で冒険したこと。太鼓を頑張ったこと。【小学4年生】
木登りとか岩登り
木登りとか岩登りができて楽しかった。行事とかも楽しかった。(中略)こども芸大の時はずっと楽しかった。【小学4年生】
夏祭り
夜まで遊べる夏祭りが楽しかった。またうんこ川で遊べるようになって欲しい。【小学4年生】
お元気ですか?
お元気ですか?私は元気です!【小学5年生】
思い出箱がぎっしり
思い出箱がぎっしりになるほどの毎日をありがとうございました!【小学5年生】
芸工大の丘
芸工大の丘で友達とたくさん遊んだこと。【小学5年生】
岩に登ったり
毎日、丘で走ったり、岩に登ったりしたことが印象的です。【小学6年生】
一生子ども芸大
もう一度、いや一生子ども芸大で過ごしたいです。【小学6年生】
あのときみたいに
みんなで楽しく過ごした毎日が最高の思い出!懐かしいし、今でもあのときみたいにみんなで遊びたい!【小学6年生】
楽しい気持ち
楽しい気持ちだったことが思い出です。【小学6年生】
おばけ屋敷
放課後の丘遊びも楽しかったし、みんなで山寺に行ったことも楽しかったし、おばけ屋敷の目玉ジュースもおいしかったな?【小学6年生】
お揃いのTシャツ
山寺に行ったこと。みんなでお揃いのTシャツを着た。自分たちでバスや電車に乗った。何段も階段を昇って俳句を作った。【小学6年生】
岩遊び図鑑
岩遊び図鑑をたくさん見てとり博士になった鳥の絵をたくさん描いた【中学生】
庭の木にコゲラ
こども芸大の庭の木にコゲラが来てたこと【中学生】
インスタ
こども芸大の活動の様子をインスタで見ていると、とても楽しそうです。【中学生】
野菜を切ってスタンプ
文化祭の行事や庭で料理ごっこで遊んだことや野菜を切ってスタンプを作ったりしたことです!【中学生】
お姉さん役
おままごとでは、学生さんが作ってくれた屋根付きの建物を使い、私はよくお姉さん役をしました。【中学生】
学生さんの作品
大学祭や学生さんの作品を見たりするのが思い出に残っています。【中学生】
全力で遊ぶ
全力で遊ぶことは楽しい!ということを知りました。【中学生】
サンショウウオ
大学脇の小川で生き物好きの友人と2人で石をめくったりして何かいないか探していた。(中略)黒色でくねくねしていたためドジョウかな?と思い手をそっと開けてよく見てみると、ヒレではなく指の生えた脚が四本見えた。なんと〝 それ ?は、サンショウウオだった。【市民、20代、埼玉県蕨市】
文化 空気 センス
東北芸工大が創る文化、空気、センスを、全国に、世界に拡げていただき、より良き社会を創造して欲しい【市民、60代、兵庫県神戸市】
芸術に心が動く
芸術に心が動く活動をどうぞ進めて下さい。【市民、50代、千葉県】
地元密着の大学
今後も地元密着の大学として,山形県発展のために尽力して頂きたい。【市民、50代、宮城県仙台市】
街の中にデザインやアート
山形ビエンナーレをはじめ、街の中にデザインやアートが顔を出すようになった。【卒業生、20代、東京都江戸川区】
若い移住者
県外からの若い移住者が増えた【市民、50代、山形県山形市】
愛とエネルギーと美しさ
今までわからなかった山形をたくさん発見できた。愛とエネルギーと美しさを備えたパワースポットになったと感じます。【市民、50代、宮城県名取市】
文化芸術の発信
文化芸術の発信をたくさんしていただいているので、町にアートが感じられます。【市民、50代、山形県新庄市】
大学生の時に開学
私が大学生の時に開学した芸工大。大学ってこうやって成長していくのかと感心した。【市民、50代、山形県山形市】
根岸学長の言葉
入学式の根岸学長の言葉「この大学を使い倒してください。そしてこの大学に入った元をとってください」【卒業生、20代、長野県千曲市】
優良コンテンツ
本来必要とされている山形の持つ多くの優良コンテンツの情報発信への貢献は、民間大学の可能性を高め、地域社会になくてはならない存在になりつつある【市民、50代、山形県山形市】
豊かな世界を創る
芸術で豊かな世界を創る若者を育てようと日々努力をされていらっしゃる職員の皆さまとの様々な課題解決を通じたサポートにおける真面目で優しいお人柄が印象的【市民、50代、神奈川県相模原市】
芸工大さんかな?
建物の表示などデザインで、芸工大さんかな?と思うことがよくあるようになって、楽しみが増えました【市民、50代、山形県山形市】
芸工大のオゴリ
芸工大ができたから変わったとは言えない。そのような考えは芸工大のオゴリではないでしょうか。【市民、60代、山形県山形市】
街中のリノベーション
街中のリノベーションなど、少しずつ街が変わってきていると感じます。【市民、40代、山形県山形市】
挑戦することの楽しさ
これからも街や世の中を元気にする存在、挑戦することの楽しさを教えてくれる存在でいてください。【卒業生、20代、埼玉県】
街や人の良さ
小さな事にも目を向けて、そこに価値を見出し、元々の街や人の良さを引き出していく。そんなクリエイティブさが日常の中から生まれていっているように感じます。【卒業生、20代、山形県山形市】
産学連携
産学連携という言葉が普段使いになった。【市民、40代、山形県山形市】
少し華やいだ
山形県が少し華やいだように思います【市民、50代、山形県寒河江市】
市町村の至る場所
市町村の至る場所で、学生の方だったり卒業生の方だったりが関わっていて県全体が活性化している【市民、40代、山形県寒河江市】
様々なスタイル
様々なスタイルの学生さんが多くいらっしゃるので(中略)「自分は自分でいて良いのだ」と感じることができました。これは特に地元の若い世代にとって大変良い影響を生み出してくれているのではないかと思っています。【市民、30代、山形県山形市】
もっともっと
もっともっと地域に関わってほしい。【市民、50代、山形県山形市】
表現力が豊か
(山形の)表現力が豊かになったと思います。山形の人は売り方が下手だと言われていたので…。【市民、40代、山形県山形市】
東北の田舎
東北の田舎にありながら、山形全体でデザイン性が他の県よりも高い。街全体、そこに住む人たちのセンスが高くなった。【市民、40代、山形県山形市】
様々な分野で活躍
当社にも芸工大の卒業生が多く在籍しており、様々な分野で活躍してくれております。【市民、30代、山形県山形市】
素晴らしい素材
山形には、パッケージデザインさえ良ければ世の中に出ていく素晴らしい素材が沢山ある。それを引き出す役割を担って欲しい。【市民、50代、山形県天童市】
デザイン
「デザイン」の持つ力が認識された【市民、50代、山形県山形市】
生徒さんの作品
生徒さんの作品を大学に見に行ったことがあります。たのしかった!【市民、60代、山形県山形市】
嫁とランチ
以前、嫁とランチを食べにいったこと、コロナが収まったらまたお邪魔したい。【市民、50代、山形県山形市】
街中で存在感
キャンパスを飛び出て、もっともっと街中で存在感を発揮して欲しいです。私たちも企業としてその発想力と感性を経営に活かしていきたい。【市民、50代、山形県山形市】
ぶどうの椅子
霞城セントラルにあるぶどうの椅子が好きだった。【市民、30代、山形県山形市】
デザインの価値
デザインの価値を認識する人が増えた。【市民、30代、山形県山形市】
芸術が見える町並み
市内の随所に、芸術が見える町並みを作って欲しい。【市民、50代、山形県山形市】
パワフルな学生育成
街との交流を今まで以上に行ってもらいたい。パワフルな学生育成に期待【卒業生、30代、山形県山形市】
芸術を目指す
芸術を目指す方が増えた【市民、30代、山形県山形市】
歩く楽しみ
市街地のインフラに芸術的要素が加わったことで、歩く楽しみが増えました。【市民、50代、山形県山形市】
街に活気
市内に若い人が増え、街に活気が出てきた。【市民、50代、山形県山形市】
野心を持つ
野心を持つ若者が増えた【市民、30代、山形県山形市】
ミスターコンテスト
学祭の実行委員をやっていた友人からの頼みでミスターコンテストに出ることになった。(中略)そして学祭までの間、毎日のように悠創の丘にギターを担いで登り1人歌の練習をした。(中略)本番当日、程よい緊張の中で舞台袖で出番を待っていた。名前が呼ばれ、スポットライトで照らされた能楽堂の道を歩いていく。ライトの光が強く周り見えない中だったが遠くに夕日が見えたのを覚えている。【卒業生、20代、埼玉県蕨市】
息子は卒業後、デザイナー
子どもが芸工大にお世話になり、保護者会活動に携わらせて頂き、また、息子は卒業後、デザイナーで活躍しています。【市民、50代、山形県山形市】
優秀な学生の輩出
今後も優秀な学生の輩出を期待します。【市民、30代、山形県山形市】
卒業後も山形市に
卒業後も山形市に住みつづけてほしい。そのための受け入れ企業が増えるのが大事。【市民、50代、山形県山形市】
ワクワクする時間
学生さんの作品から、感性豊かな多方面な考え方を知れて、ワクワクする時間を過ごす事ができています。【市民、40代、山形県山形市】
明るいセンス
地方のイメージに、明るいセンスのある都市のイメージが入ってきた。【市民、50代、東京都杉並区】
芸術性に圧倒
4年ほど前初めてお伺いした際、本館や水上能舞台はじめ、建物の芸術性に圧倒された記憶がございます。【市民、40代、千葉県鎌ヶ谷市】
柔軟な発想
2011年から学生と一緒に商品開発をさせていただきました。学生の柔軟な発想に驚きながら楽しく商品作りができました。学生が商品作りの基本から広告やデザインまで先生方のアドバイスで成長する様を頼もしく見ていました。【市民、60代、山形県南陽市】
素敵な建物
とても素敵な建物なので沢山イベントをやって頂けたらとおもいます。【市民、60代、西田】
オサレな人
オサレな人、面白い人が増えたような気がします【市民、50代、山形県上山市】
破天荒な話
友人が芸工大卒で、学生の頃の破天荒な話を聞かせてもらっている。【市民、40代、山形県米沢市】
認識論
学科の講義にあった認識論という授業が大好きでした。(中略)私にとって認識論から得た価値観は一生の宝です。【市民、20代、栃木県那須烏山市】
東北人
東北人は自分を表現するのが苦手です。若い力と大胆?柔軟な発想で山形県だけではなく東北全体を活性化し、老いも若きも長く楽しめる社会を作っていって欲しい【市民、40代、宮城県仙台市】
アート三昧
気持ちの良い風の吹く丘を歩きながら、親子でゆっくりアート三昧したことは、ぜいたくな幸せな思い出です。【市民、40代、山形県高畠町】
クオリティの高さ
初めて行った卒展、クオリティの高さにビックリ。芸術系の学校に行っていたので、時代の流れを強く感じました。【市民、50代、山形県山形市】
文化の街
これからも、山形をすてきな文化の街にしてくださいね。【市民、60代、山形県山形市】
創作への姿勢
年々学生さんの作品が良くなっていると思っています。技量の向上だけでなく、創作への姿勢に誠実さを感じます。【市民、60代、宮城県仙台市】
立派な大根
アルバイト中、畑仕事帰りの見知らぬおばあちゃんと立ち話になり「芸工大ができたおかげで山形が活気づいて本当に良かった。これを食べて風邪をひかないように頑張りなさい。」と立派な大根を頂戴しました。【卒業生、40代、宮城県松島町】
映像関連
映像関連で芸工大関連の方々が関わっている作品やプロジェクトを目にする機会が増えた気がします。【卒業生、20代、山形県東根市】
学生の気持ち
今、大学に在籍している学生の気持ちを汲んで大学を運営してほしい【卒業生、20代、栃木県那須烏山市】
60歳の手習
18年前、60歳の手習として社会人講座を受講しました。あれから日本画を描き続けて楽しんでいます【市民、70代以上、山形県山形市】
山形交響楽団と並んで
芸工大はとても身近な存在であり、山形交響楽団と並んで山形の誇りであると思っております。【市民、70代以上、山形県山形市】
敷居が高いイメージ
芸術というとちょっと敷居が高いイメージがありますが、芸工大ができ地域に一緒にやりませんか?と思い切ってお邪魔したた時、じゃあ一緒にやってみるか!とすぐ受け入れていただけた時に大学が地域に根付いていると感じた。【卒業生、40代、山形県尾花沢市】
幻のD定食
2期生の某氏は貧しかったのか節約していたのかはわかりませんが、毎日ご飯のみを頼み、カウンターにある調味料をしこたまふりかてて食べていました。もちろんおかずはありません。ある日、(中略)珍しくトレイにご飯とお茶の他、味噌汁を載せてやってきました。学食のおばちゃんがサービスでつけてくれたそうです。これが幻のD定食です。【卒業生、40代、群馬県高崎市】
山形で芸術祭?
ビエンナーレが始まった時、在学中でした。当時は山形で芸術祭?と思っていましたが、地元の活気につながる良い試みだったと思います。【卒業生、20代、熊本県熊本市】
日本文化デザイン会議
1993年に開催された日本文化デザイン会議に参加しました。開学したばかりの芸工大を会場に多くの有名デザイナー、ジャンルを問わない素晴らしい講師陣が名を連ねて訪れ、こんなに面白く大規模なイベントが山形で開催されるということに驚きと期待で胸がいっぱいになりました。【市民、50代、山形県酒田市】
新歓コンパが公民館
憧れていた新歓コンパが公民館だったことに驚きました。(中略)人と人のつながりが強いのが、芸工大の魅力の一つです。【卒業生、40代、栃木県那須塩原市】
新しいアイデアと再生の兆し
私の住んでいる県と同じように、地域の過疎が進行し、活気が失われつつある地域に新しいアイデアと再生の兆しを運んでくれた【市民、福井県高浜町】
わからずやで、世間知らず
学生時代にわがままでわからずやで、世間知らずで、それでも受け止めてもらったことで、ぶれずに今日も生きていけると信じています。【卒業生、40代、山形県鶴岡市】
新たな風
随時イロイロ新たな風を吹き込んで下さってると感じます。【市民、50代、山形県東根市】
感動しきり
卒展、学園祭、学内外の展示会などで、作品を拝見したり学生さんたちと交流できたりと、アートを楽しませていただいて、作品自体の魅力や、作者さんの想いと成長なさっていく様子などに感動しきりだった次第なのでした。【市民、50代、山形県東根市】
旦那さんと出会い
大学2年生の頃、教職課程で他学科と交流し、旦那さんと出会いました...??【卒業生、20代、山形県山形市】
企画を具現化
チュートリアルで先生方と深く話し企画を具現化することができた【卒業生、30代、北海道音威子府村】
土地を巨視的に見る
県外の若者が流入することによって、山形という土地を巨視的に見ることができているのではないかと思います。【卒業生、30代、山形県山形市】
恋バナに花
時に恋バナに花を咲かせ、時に真剣に心の内を打ち明けた学食は、安くておいしいご飯の味と共に記憶されています。【卒業生、20代、神奈川県横浜市】
建物が水に浮いている
初めて玄関の池を見て、建物が水に浮いていると思いワクワクした。【市民、30代、山形県山形市】
静かな温かさ
雪が舞う寒い時期に、入試相談と見学をしました。静かな温かさを感じた記憶があります。【市民、50代、長野県長野市】
デザインに関する思考
デザインに関する思考が、日常の中に根付いた。【卒業生、40代、山形県山形市】
つなぎ服と安全靴
頭にタオルを巻いて、つなぎ服と安全靴、防塵マスクとゴーグル、遮光メットと耳栓に豚皮手袋でいつも鉄粉まみれだったけど、居心地が良かった「鉄場」でした。【阿部 岳史、美術科 彫刻コース 2000年度卒業】
教室のゴタゴタ
教室のゴタゴタした汚さ、物の多さに比例して一言では語りきれない思い出が詰まりまくっています!【安部 美希、建築?環境デザイン学科】
懐かしの喫茶
懐かしの喫茶さくら、ごはんがとても美味しかった。【伊藤 毅、建築?環境デザイン学科 1997年度卒業、芸術工学研究科 1999年度修了】
スケボー
通りかかった人を観察したり、スケボーしたり。ゆったり過ごした時間が、心地良く、今の自分に影響している気がする。【伊藤 大聡、生産デザイン学科 2002年度卒業】
ここを目指してきた
芸工大といえば三角屋根。オープンキャンパスの日からここを目指してきた。そして毎日楽しみながら通いました。【伊藤 玲子、生産デザイン学科 2002年度卒業】
本気で遊んだ
授業終わりに先生も学生も入り混じり本気で遊んだことが思い出です。【岡村 あすか、美術科 彫刻コース 2019年度卒業】
家具を作る日々
木を担ぎ、家具を作る日々でした全てが詰まっていた【岡谷 知幸、プロダクトデザイン学科 2019年度卒業】
花火
芸工祭で打ち上げられた花火です。この花火を打ち上げてくれた芸工祭スタッフには今も感謝しています。【熊谷 智憲、プロダクトデザイン学科 2012年度卒】
センチメンタルな気持ち
実習時間を終えてトイレに行くひとときの休憩時間に、手すりにもたれながら見る夕日に、そのなんともいえないセンチメンタルな気持ちと対峙したもんです。【元木 孝美、大学院 彫刻専攻 2003年度修了】
ライティングオブジェクト
「ライティングオブジェクト」の授業は、大学の敷地を使って遊ぶ様でした。【後藤 有美、美術科 工芸コース 2018年度卒業】
思い返せば
思い返せば、笑ったり泣いたり緊張したり感動したり、実習棟では様々な出来事があった。【工藤 裕太、建築?環境デザイン学科 2011年度卒業】
親友たち
慣れない環境での一人暮らし。忙しいバイト。新しい学科で授業も手探りの毎日。でも傍にいつもいてくれたのは親友たち。【高橋 夏希、コミュニティデザイン学科 2014年度卒業】
本館と図書館の間
ほぼ毎日図書館に籠って本を読んだり作品のアイディアを探ったり勉強していたので、本館と図書館の間にあるこの景色がすごく印象に残ってます。【佐藤 亜美、美術科 彫刻コース 2020年度卒業】
1期生のおかげ
苦楽の入り混じる188体育でしたが、それを乗り越えることができたのは同期の1期生のおかげ。【柴田 雄輝、コミュニティデザイン学科 2017年度卒業】
上原モータース
いつもあなたのそばに。上原モータース。【松本 大知、プロダクトデザイン学科 2019年度卒業】
毎日のように探検
全国からお互い見ず知らずの学生がたくさん集まってきたのだから、自分にとっては楽しくないワケがない。毎日のように探検、だから、毎日が発見だった大学生活。【新垣 治彦、生産デザイン学科 2期生】
広大なグラウンド
一面が芝生の広大なグラウンドでタッチフットに熱中した4年間でもありました。夏の暑いなかでの練習、秋と冬は震えながらの練習。心地良いのは春だけ…。【杉山 敬太郎、芸術学科 芸術学コース 2001年度卒業】
まとめ買い
まとめ買いするとお得だった気がする【菅野 重丸、プロダクトデザイン学科 2017年度卒業】
綺麗な入道雲
大好きな夏の空、大きくて綺麗な入道雲に心が跳ねた瞬間【赤川 未緒梨、プロダクトデザイン学科 2021年度卒業】
春の恒例行事
毎年春になると、先生や同級生とエコハウスの草むしりをしていました。地味ながらも楽しい春の恒例行事でした。【大石 佳奈、建築環境デザイン学科 2018年度卒業】
撫でる同級生
自分にこれといったジャンゴとのエピソードは無く、ジャンゴを撫でる同級生を見て「良いなぁ、自分も仲良くなりたいなぁ」と思っている内にジャンゴが亡くなってしまい、心に少し寂しさが残ります。【中村 萌音、2021年度卒業】
散らかってなんぼ
デスクや教室は、散らかってなんぼ。提出期限間際の忙しなさとわくわく感が、すごく恋しい。【長利 咲代子、建築?環境デザイン学科】
学校の空
学校の空いつまで見ても飽きない【陳 博聞、芸術工学研究科 デザイン工学専攻 2020年修了】
地域の生態
プロジェクトを通して、地域の生態が時間をかけて変化していく様子を目の当たりにしました。じっくりと幅広い視点で物事を考える大切さと楽しさは、この時に培ったものだと感じています。【天野 北斗、建築?環境デザイン学科 2020年度卒業】
木を植えました
森づくり活動として開園前の悠創の丘に木を植えました。今は県の協力を得て建築?環境デザイン学科の演習地になっています。【渡部 桂、環境デザイン学科 1997年度卒業】
地域のために
地域のために、自分達ができることは何か。地域の人が喜んでくれることは何か。まだ出来立ての演習室で、毎日考えていました。【渡邉 紀子、コミュニティデザイン学科 2018年度卒業】
夜遅くまで
夜遅くまで頑張ると観れる景色【蜂谷 要、建築環境デザイン学科 2021年度卒業】
学食で作業
可能な限り学食で作業をしていました。程よく賑やかで、作業していると友人が来る。とても居心地が良い場所でした。【柳 和剛、プロダクトデザイン学科】
卒業制作
卒業制作に励んだ1年が自分にとって宝物になっています。社会に出てから10年が経ったいまも、自分を奮い立たせたいときに思い出すのはこの1年のことです。【戀水 詩織(旧姓:佐藤)、建築?環境デザイン学科 2011年度卒業】
「ひたむき」の原点
このアトリエで、毎日毎日ただひたすらに絵を描いた。悩みや不安は窓から見える景色がかき消してくれた。ふとした時に今も思い出す「ひたむき」の原点。【齋藤 あかね(旧姓:香坂)、日本画コース 1998年度卒業】
能舞台?
「能舞台できるらしいよ」「能舞台? ???ん?能舞台???」何度聞いても半信半疑でした。【髙橋 勇太、生産デザイン学科 2001年度卒業】
この子も将来芸工大生
マレーシア から留学して、彼女と芸工大で出会い、結婚しました。パパもママも芸工大生。この子も将来芸工大生になる?【ジョンソン(林 崇聖)、プロダクトデザイン学科、林 遥(旧姓:石川)、美術科 テキスタイルコース】
自信と誇り
自信と誇りを持って人生を歩んで欲しい。将来、困難に出会ったとき、「大学設立の宣言」を読み返して欲しい。読み返して、芸工大が何を目指して設立されたのかを、宣言文を起草した人の想いを感じ取って欲しい。そして、毎日のように渡った鏡橋から見た本館のたたずまいを、正面から見た夕日の壮大さを思いだして欲しい。【坂元 徹(元常務理事、1992年4月[開学]より2015年12月まで在職)】
イマジネーション
社会や他者のことをイマジネーションしてほしい。自分のことばかりを考えずに。【加藤 真人(キャリアセンター、1991年4月[開学前]より在職)】
健康で賢く逞しく
30年営々の努力で本校を支え発展させて下さった関係各位に感謝致します。(中略)皆様に平和に生きるようお願いしております。東北芸工大の皆様、健康で賢く逞しく生き抜いてください。【和泉 正哲(名誉教授、1994年4月より1999年3月まで在職)】
創造力?妄想力で広げた世界を可視化する事
我々が作品制作を通じて獲得していく力は創造力?妄想力で広げた世界を可視化する事だと思う。そして、仕事にイノベーションをもたらすことができると思っている。作品制作を楽しもう!【山田 修市(名誉教授、元芸術学部長、1998年4月より2015年3月まで在職)】
これでいいのだ!
「これでいいのだ!」(中略)皆さんが持っている感性や表現したい想いは、無理に作り出すものではなく湧き出で来るものであり、それは自然の息吹きそのものです。だから、それを大事に育てて欲しいと思います。君は自由でいいのだ。君は自然そのものだから。【若月 公平(名誉教授、2001年4月より2021年3月まで在職)】
自由な発想をカタチに
芸工大は自由な発想をカタチにできるところなので、クリエイターとして多くの作品づくりにチャレンジしてください。【堀内 芳明(プロダクトデザイン学科専任講師、2020年4月より在職)】
歳月は人を待たず
歳月は人を待たず 盛年不重來 一日難再晨 及時當勉勵 歳月不待人 陶淵明【末永 敏明(美術科日本画コース教授、2005年4月より在職)】
創造的に人生を楽しむ
思いっきりチャレンジして思いっきり失敗して、思いっきりまたチャレンジしてください。自分で考え自分で何かを編み出そうとする人は、どんな場所に於いても必ず創造的に人生を楽しむ人になれます。【中村 桂子(美術科版画コース教授、2008年10月より在職)】
スイッチ
私は、芸工大で「考え続けること」「動き続けること」のスイッチを見つけたのだと思います。みなさんは、芸工大でどんなスイッチを見つけましたか?【石沢 惠理(美術科総合美術コース専任講師、2020年4月より在職)】
山形だから育める人間教育
山形だから育める人間教育が此処にあります。月山を眺望できる雄大な環境で高い志を忘れずに新たな世の中を創造する人物となってください。【青山 ひろゆき(美術科洋画コース教授、2009年4月より在職)】
歴史を学び、現在を知り、未来を想う
「歴史を学び、現在を知り、未来を想う」これはどんな分野にでも、その起こりや歩みの歴史が存在し、それを知って挑むことが大事だということ。また歴史をいかに熟知していても分野の現況を理解していないと立ち回り方すら分からないということ。そして今ある枠組みの中でどう生きるのか、また新しい枠組みをどう築くのか、思いを馳せてほしい。【深井 聡一郎(美術科工芸コース教授、2011年4月より在職)】
芸工魂
芸工魂が少しずつつながっていくことを感じながら時は経っています。ここは美大であり、美大生であることを忘れてはいけません。人生をより楽しく、魅力的にできることは芸術だからです。【原 高史(グラフィックデザイン学科教授、2011年4月より在職)】
正直言って、うらやましい。
正直言って、うらやましい。(中略)学生の皆さんは同じことをやりたい人たちが集まっているわけですよ。同級生同士で作品を見せ合ったりできるわけですよ。この環境を活かさない手はありません。【玉井 建也(文芸学科准教授、2014年より在職)】
バントをつなげる
今、ここで学べる素晴らしい環境があるのは、30年という歴史の中での先輩の努力、社会での活躍実績があったからこそ。この30周年を迎えるにあたりそのことを考え、そして未来の芸工大生にバントをつなげるようひとつでも多くのことを学びを得てほしい。【日野 一郎(プロダクトデザイン学科教授、デザイン工学部長、2014年4月より在職)】
ツバメの巣
初めて芸術実習棟の軒下にツバメの巣があることに気づきました。(中略)君たちも同じだと思います。守られている学びやで恐れることなく思いっきり励んでください。【室井 公美子(美術科洋画コース准教授、2015年4月より在職)】
巨大なコンクリート
十代の僕は、その真新しい巨大なコンクリートの建物と山形市内を一望する素晴らしい眺めに圧倒された【杉山 恵助(文化財保存修復学科准教授、2015年4月より在職)】
毎日を大切に
「あの時」にあれをやっておけば良かった…。と誰もが後悔する瞬間が必ずあります。残念ですが「あの時」には二度と戻れません。でも、幸い今が「あの時」です。どうか毎日を大切に!【片岡 英彦(企画構想学科教授、2015年4月より在職)】
新しい風景
憂いの続く世の中ですが、 私たちはこの現在、この時代の転換期を刮目し、自己という大地にしっかりと根を張って生きていかなければならないと思うのです。やがて訪れるであろう平穏な世界を期し、この地で、共に「新しい風景」を想像/創造していきましょう。【金子 朋樹(美術科日本画コース准教授、2015年4月より在職)】
三角屋根
開学以来、ここに集いし人々。その時々で物語が生まれ、また消えていく。人々は変われど、いつも三角屋根がそこにはある。【柿田 喜則(文化財保存修復学科教授、2017年より在職)】
食わず嫌い
視野を広げて欲しいと思います。(中略)食わず嫌いをせずに受け止めてみてください。今すぐには役立たないかもしれませんが、いつかどこかで皆さんを救うかもしれません。【粟野 武文(基盤教育研究センター教授、2017年4月より在職)】
習慣から生まれる
毎日コツコツと、小さなコトを積み重ね、習慣から生まれる優れた結果に期待します。【坂井 直樹(美術科工芸コース教授、2019年4月より在職)】
「やってみよう」を応援
この大学は「やってみよう」を応援してくれる場所です。(中略)今を大切にいろいろなことを試して、人より多くの失敗と苦労をしましょう。そして、それを楽しみましょう。【安達 大悟(美術科テキスタイルコース専任講師、2019年4月より在職)】
たのしいとつらいの波
たのしいとつらいの波をいくつも乗りこえた先に、自分にしか作れない作品が待っています。188体育という名の冒険が、どうかよいものでありますように。【トミヤマ ユキコ(文芸学科准教授、2019年4月より在職)】
大学の底力は、学生
山形で出会った大学生は、将来の世界を心の底から豊かにしていけるような美しく、愛情にあふれた目をしていた。この大学の底力は、学生にある。【緑川 岳志(企画構想学科准教授、2020年4月より在職)】
オリジナリティ
困りごとをどう捉えるかというところにオリジナリティが生まれてくると思っています。みなさんがみなさんであるために【檀上 祐樹(コミュニティデザイン学科准教授、2020年4月より在職)】
せっかくのご縁
“'Once you become my student, you become my student for life!”(一度私の学生になったなら、一生私の学生なんだよ) (中略)せっかくのご縁、人生の節目節目で再会したり、できれば一緒に仕事したりできることを楽しみにしています。【牛木 力(コミュニティデザイン学科専任講師、2020年4月より在職)】
街に還元する
この大学は街と人々と随分と距離が近い印象がありましたが、昨年着任して以来その印象が確信へと変容しました。地域から必要とされ、大学、学生は街に還元する。【結城 泰介(美術科版画コース専任講師、2021年4月より在職)】
未来を切り開く
当時、芸工大生だった私は、T先生の一言に背中を押され、茨の道を歩み続け建築家となりました。芸工大は、未来を切り開く出会いに満ちた場です。【佐藤 充(建築?環境デザイン学科准教授、2021年4月より在職)】
水仙の花
季節の移ろいの中、毎年変わらず咲く水仙の花。皆さんは何を想いますか。【今野 仁博(基盤教育研究センター准教授、2021年4月より在職)】
TUAD spirit
Keep TUAD spirit in mind! Be creative and original! 【亀山 博之(基盤教育研究センター准教授、2021年4月より在職)】
内なる英雄
研究分野の師匠から受け取った言葉に、「内なる英雄の声にしたがえ」というものがあります。あなたの「内なる英雄」はどんな人でしょうか。【松田 俊介(歴史遺産学科専任講師、2021年4月より在職)】
非学無以広才
非学無以広才 非志無以成学【渡部 加菜実(教学1課日本画コース副手、2021年4月より在職)】
山形は田舎です。
山形は田舎です。褒めています。(中略)空は広く雲は流れ野に花は咲き夜闇は深く清く。時間が地球軸で動いている。妖怪の気配さえも!(中略)だから思う。芸工大の学生よ、都会に出ましょう。地球軸で動く時間をまといつつ、その大切なものを胸に都会で戦うことをお勧めします。妖怪と言われ異端児でいきましょう。都会は迷っています、空も野も夜さえも教えてあげましょう。【飛田 正浩(美術科テキスタイルコース教授、2022年4月より在職)】
新しい視点
いつもの風景は、淡々として、刺激もなく通り過ぎていきます。それを変える新しい視点こそが、芸工大に学ぶ学生に必要で大切なことだと思います。飛んで見よう、しゃがんで見よう、走って見よう、そして日常から新しい風景を描き出そう!【望月 孝(グラフィックデザイン学科教授、2022年4月より在職)】
未来のデザイン
この素晴らしい環境で未来のデザインについて一緒に考えていきましょう!【小林 隆幸(プロダクトデザイン学科教授、2022年4月より在職)】
硬直した世界が解きほぐされていく
僕らの周りには豊かな自然と沢山の生き物がいる事も忘れたくないなと思っています。世界は分からない事で溢れているという事を思い出す為にです。一人そういうものと向き合う時間を少しでも持つことで、なんと硬直した世界が解きほぐされていく事か。不穏な時代だからこそ、その雰囲気に呑まれないよう工夫し、創造力と好奇心を持って歩いていきたい【山本 桂輔(美術科彫刻コース専任講師、2022年4月より在職)】
雉が親子5羽
1992年4月19日(日)第一回入学式の日は午前中雨でした。(中略)田んぼに囲まれたあぜ道を、傘をさして歩きつつ入学式の大学に向かいました。すると、あぜ道に沿って、雨の田の中を雉が親子5羽くらいで列になって歩いていました。【古藤 浩(基盤教育研究センター教授、1990年10月[大学設立準備委員会]より在職)】
情熱と指導力の強烈さ
東北芸術工科大学創設に向けてご支援?ご協力いただいた故徳山詳直氏(学校法人瓜生山学園理事長?当時)の情熱と指導力の強烈さが今も深く印象に残っています。【市川 昭男(事務局次長?当時、前山形市長、元山形市職員?開学前、1992年4月[開学]より1993年3月まで在職)】
都会と自然との落差
大学は今や内外ともにすっかりソフィスティケートされたが、都会と自然との落差こそが、本学初動期のエネルギーだったのかもしない。【小林 敬一(基盤教育研究センター教授、1992年[開学]より在職)】
第一期生
第一期生は三百数十人、僕も含め初年度に着任した教員も少なく、キャンパス内は閑散として今では考えられないほどの静けさでした。【木原正徳(美術科洋画コース?総合美術コース教授、副学長、1992年4月[開学]より在職)】
FAX
大学発足の時を考えるに、大学の封筒のことを思い出します。FAX に period を打って FAX. としていたのを、私が訂正したのでした。(中略)未だに tel. と fax. と書いてあるのを、沢山見かける。【尾形 良道(名誉教授、1992年4月[開学]より2006年3月まで在職)】
造形教育を実践
あの頃 私は悩んだ末に勤めていた大学を辞して設立準備に参加した。(中略)既存の大学とは違う造形教育を実践しようと考えた。素材や様式でクラス分けをしない。学生それぞれの今後の長い道のりの為に素材の経験と形の追求を重視した。【峯田 義郎(名誉教授、元芸術学部長、1992年4月[開学]より2013年3月まで在職)】
武者震い
「賽は投げられた」1992年3月の春日和。開学を目前にして、就任予定の全教職員が本館講義室に召集された。そこで行われた決起集会で、初代学長に就任する久保正彰先生が発した第一声が、この言葉だった。(中略)身体全体を武者震いのようなものが駆け上がった。【吉田朗(基盤教育研究センター教授、1992年4月[開学]より在職)】
交流
様々な研究を行う分野の先生方、学生と知り合い交流を持たせて頂きました。【番場 三雄(名誉教授、1993年4月より2020年3月まで在職)】
田んぼ
それはインターネットもなかった田んぼだった【松村 茂(企画構想学科教授、1993年4月より在職)】
凧揚げ大会
大学主催の凧揚げ大会としては、全国初とマスコミでも話題となりました。(中略)前夜からの大雨も上がって1000人以上の市民参加があり、開かれた大学としての成果も上げることが出来ました。【馬場 雄二(名誉教授、1993年4月より2005年3月まで在職)】
芸工ならでは
他大学に勤務してみると、図書館の自習室、ゼミや研究室一角の学生室などとは明らかに異なり、学生の自主性と成長を促す、芸工ならではの景であることを痛感させられます。【三田 育雄(名誉教授、1993年4月より2006年3月まで在職)】
畑をつくっている
もともとは目の前に田んぼが広がっていた芸工大で、今、畑をつくっている。私はもしかしたら昔の風景を求めているのかもしれない。【柳川 郁生(基盤教育研究センター教授、1993年4月より在職)】
サンバ
開学4年目、1995年5月に新実習棟の竣工記念パーティーが今の吹き抜け空間(ピロティ)で盛大に行われた。(中略)芸工大の未来を予期するような快晴の空、元気なサンバミュージックがとても印象的でした【佐々木 理一(美術科工芸コース教授、1995年4月より在職)】
さくら
大学正面の横断歩道あたりには、“さくら”という小さな喫茶店があり、手作りのお餅やランチの生姜焼き定食がとても美味しかった。(中略)お餅を食べに行くとおかみさん達が可愛いお嬢さん達ねえと優しく声をかけてくれたことを思い出します。【上原 勲(プロダクトデザイン学科教授、1998年4月より在職)】
繋がり
人と人の繋がりは、一番の美しい風景ですね。【黄 ロビン(旧名:黄崇彬)(生産デザイン学科助教授、2001年10月より2004年3月まで在職)】
能舞台
能舞台で薪能が開催されたときは、徐々に日が沈む群青色と薪の赤が水面に映り、幻想的でした。【小林 懐理子(教学1課、2002年4月より在職)】
人生の半分
気付けば、人生の半分近くを芸工大と共に過ごしてきたことになります。その間、実に多くの、学生?教職員の皆さんとの出会いがあり、別れがありました。【須貝 太郎(入試広報課、2002年4月より在職)】
曲線の棚田
開学してからも、しばらく大学の前は穏やかな曲線の棚田でした。(中略)そんな環境を失いたくないと、学生時分の仲間と大学前が住宅地になることに異を唱え、地域の方々に訴えたこともありました。【渡部 桂(建築?環境デザイン学科教授、2004年4月より在職)】
天使の梯子
春から夏にかけて、西の夕空によく現れる「天使の梯子」。キャンパスからの眺めの中でも、もっとも心を和ませてくれます。【柚木 泰彦(プロダクトデザイン学科教授、2004年4月より在職)】
鍋パーティー
就任当初の頃、ほぼ週1ペースで学内「鍋パーティー」が行われていたのでは?と思うほど私の中では芸工名物として刻まれている。【長沢 明(美術科日本画コース教授、芸術学部長、2005年9月より在職)】
エナジーの源
この大学のエナジーの源は、ここ山形に吸い寄せられてしまった少々奇特なクリエイター教員たちのパワーと、そこに巻き込まれても楽しんでしまっている学生達の柔軟さだと感じます。【中山 ダイスケ(グラフィックデザイン学科教授、学長、2007年4月より在職)】
FUKUKOU LIVE
震災後に201教室で行った七尾旅人の「FUKUKOU LIVE」【岩井 天志(映像学科教授、2007年4月より在職)】
大学設立の宣言
多くのことが変わったけど、変わらないのはいつも僕たちが立ち返る大学設立の宣言「わが大学の前に道はなし あるは歴史的実験のみ」。あの頃の風景にいつも奮い立たされながら、今日も実践あるのみ。【三瀬 夏之介(美術科日本画コース教授、2009年4月より在職)】
吉田松陰
私の教員採用面接の際、最後に「お前は吉田松陰のようになれ」と言われました。松下村塾の近くで育った私にとっては、世紀を超えた使命です。【吉賀 伸(美術科彫刻コース教授、2009年10月より在職)】
巣に帰っていく
夕方、山から巣に帰っていくたくさんの鳥。【石川 忠司(文芸学科教授、2011年4月より在職)】
毎日自転車
自宅から毎日自転車で通うようになり、ようやく見つけた最短ルートの棚田を縫って上がる小径を、息を切らして登ったことを覚えている。開学2年目のキャンパスは広々として、学生が大騒ぎしていても受け止めてくれるような寛大さがあった。【藤田 寿人(プロダクトデザイン学科教授、2012年4月より在職)】
夕日の美しさ
30年の中で街も変わり、人も国も変わりましたが、芸工大から見る夕日の美しさだけは変わりません。【酒井 聡(プロダクトデザイン学科教授、2012年10月より在職)】
夜のアトリエ
夜のアトリエが好きでした。制作を終えて帰るとき周囲はとても静かで山形市内の街の明かりのキラキラが遠くに見えて、空には星が見えて綺麗でした。【森本 諒子(教学1課彫刻コース副手、2021年4月より在職)】
ぼんやりと浮かび上がる
夜、いくつかの部屋に明かりがついてぼんやりと浮かび上がる芸工大の建物が印象的です。【土屋 香奈(入試広報課、2013年4月より在職)】
畑で作業
衝撃的だったのは畑で作業している学生達をみた時。関東の美大しか知らない私にとはとても羨ましいというか良いことを学んでいるなあと感じたことを覚えています。【藤田謙(美術科工芸コース教授、2014年10月より在職)】
走り回る猫
伸び伸びと走り回る猫。(中略)直後に当時の事務局長からも電話があり、研究室に動物を入れてはダメだと怒られた。「規約に書いてありました?」と言ったら、もっと怒られた。きちんと謝った。【野上 勇人(芸術学部文芸学科准教授、2015年4月より在職)】
カモシカ
遠雷、雪で埋もれた階段、学生たちの言葉、カモシカ?!、窓から射す西日の後の夕焼け、夜景、学生たちの眼差し。【中右 恵理子(文化財保存修復学科准教授、2015年4月より2018年3月まで、2022年4月より在職)】
半夏
半夏のひとつ咲き【榎本 倫(教学1課テキスタイルコース副手、2022年4月より在職)】
真っ赤に染まった空
ふと学科棟の窓から真っ赤に染まった空に気付いたのです。そこから(忙しいにもかかわらず…)学生と外に飛び出し、鏡池から夕陽を眺めました。その時の美しさと言ったら「この世の物か!」と思うほど美しかった。【矢部 寛明(デザイン工学部コミュニティデザイン学科専任講師、2018年4月より在職)】
芸工大からの眺望
芸工大からの眺望はとても美しい。山々に囲まれ俯瞰して一望できる景色は、毎日の疲れを癒してくれる。【細川 貴司(美術科洋画コース准教授、2018年4月より在職)】
目がキラキラ
教員として着任した2019年の春。(中略)初めて会う若者たちが、こちらをまっすぐに見ていて、その目がキラキラと煌めいていました。【山縣 弘忠(企画構想学科准教授、2019年4月より在職)】
おすすめスポット第一位
本学を背にして山形市内を眺めた際に見える、月山、葉山、飯豊連峰などの山々に落ちる夕日が絶景です。(中略)私の山形でのおすすめスポット第一位です。【大森 弘之(教学1課洋画コース副手、2019年4月より在職)】
野生動物や昆虫
自然と近い環境に大学があるので野生動物や昆虫などと触れ合う機会が多く、目に触れる生物で季節を感じることが多いのが印象的です。【森 秀達(教学1課工芸コース副手、2020年4月より在職)】
ジャンゴ
私にとって大学ではじめてできた友人は、ジャンゴと名づけられた大学に住み着いている野良猫【小金沢 智(美術科日本画コース専任講師、2020年4月より在職)】
三角を見ると
三角を見ると、「あっ、山形」と思うくらいに、もう完全に洗脳されました【佐々木 淑美(文化財保存修復学科准教授、2021年4月より在職)】
雄々しく燃え盛る
2004年。学祭でみんな楽しくなった夕暮れの時間(中略)気がつけば小さかった焚き火は5mほどの火柱へと成長していました。雄々しく燃え盛るその炎の姿を思い出すたびに、嬉々として角材を火の中へ投げ入れる友人たちの姿が蘇ります。【渡邉 吉太(プロダクトデザイン学科准教授、2022年4月より在職)】
考えさせられる言葉
非常勤講師で初めてきた時に「愛が足りない、だからこの大学がある」という書にびっくりしました。いまだに色々考えさせられる言葉です。【松本 由衣(美術科工芸コース専任講師、2021年4月より在職)】
大地に優しく
あたかも母親が子を抱くかのように、大地に優しく見守り続けられる学びの場。大切な「変わらない」ものを抱きながら、新しい世界のために学び「変わり続ける」。【瀬戸 けいた(美術科総合美術コース准教授、2021年4月より在職)】
いただきます!
芸工大の花笠の先生?志鎌さんが、ポスターのメインを飾った2015年の花笠まつり。とっても素敵な笑顔が印象的で、恒例の掛け声「いただきます!」が聞こえてきそうですw【牧野 秀紀(教学1課コミュニティデザイン学科副手、2021年4月より在職)】
禍福
禍福は糾える縄の如し【土田 翔(教学1課日本画コース副手、2022年4月より在職)】
キャッチボール
日々制作に励みながら、大学で友人と共に過ごした時間がとても大事な思い出です。例えばランチや夕食時、息抜きのキャッチボールなど。【平野 有花(教学1課版画コース副手、2022年4月より在職)】
四季折々の景色
日々芸工大から見る景色に癒されております。朝の景色も夕方の夕日もとても綺麗ですね。これから四季折々の景色を見ることを楽しみにしております。【小松 真士(食育推進室、2022年6月より在職)】
知識の宇宙
蔵書点検アルバイト学生さんは、本を点検したら知識の宇宙を一巡りできた、と仰っていました。宝物は沢山あります。【佐藤 涼子(教学1課、在職中)】
大学過疎県
全国で鳥取県と共に大学過疎県と言われた山形県に、不可能と思われた4年制大学を幾多の苦難を乗り越え創設できたという事は特筆すべきことであった。【蜂谷 哲平(元事務局部長、元山形市職員)】
人類の未来
何が美しくてなにがみにくいか。なにがほんとうでなにが嘘か。ひとを愛するとはどういうことか。いかに生きるべきか。人間とは何か。生命とは何か。これらの問いかけに対する、きみたちの思索と深い悩み、苦しみの中にこそ、人類の未来がかかっているのです。【德山 詳直(元理事長、1930-2014)、「二十一世紀に向けて 東北芸術工科大学の誓い」(2000年5月)】
芸術をして科学をコントロール
二十一世紀が高度に発達した科学技術を人間の手に取り戻す世紀であるなら、人間の心というものを芸術に置きかえて、科学と芸術をどう結びつける大学をつくるか。つまり、芸術をして科学をコントロールせしめるような大学とはいったい何だろうか。【德山 詳直(元理事長、1930-2014)、『藝術立国』(2012年)】
十五本ほど木
大学には、十五本ほど木を植えてありますが、あれも一本一本、長靴を履いて西蔵王の山へ自分で入って、お百姓さんに一本ずつ根っこを入れて抜いてもらって、ここへ持ってきて植えたのです。【德山 詳直(元理事長、1930-2014)、『藝術立国』(2012年)】
芸術の運動
我々がいま進めている芸術の運動にこそ人類の未来がかかっている。「戦争と平和」「戦争と芸術」の問題を、愚直にどこまでも訴え続けていこう。これまでもそうであったように、これからもこの道を一筋に進んでいこう。【德山 詳直(元理事長、1930-2014)、『藝術立国』(2012年)】
縄文の都
山形は縄文の都である——と言うと、きょとんとする人がいる。縄文文化は日本列島全体にあったではないか、という顔をします。私が言いたいのは、そういうことではない。山形を縄文の都にしなければならない、と言いたいのです。【德山 詳直(元理事長、1930-2014)、『藝術立国』(2012年)】