[最優秀賞]
加藤彩花|現代に生きた里修験 ー地域社会における宗教生活の変容と里修験の社会的役割ー
栃木県出身
岡陽一郎ゼミ
目次 はじめに/研究対象の概要/檀那寺?鎮守と里修験/仙学院の果たした役割/現代に生きた里修験/おわりに
近世以降の修験者は、山岳宗教者としての性格を退化させ、里への定住を進める。彼らは「里修験」と総称され、村びとに最も身近な宗教者として、地域の民間信仰や民俗文化、日常生活に多大な影響を与えた。この里修験の一例として、栃木県日光市瀬尾(せのお)地区に、近年まで宗教活動を続けていた仙学院(せんがくいん)がある。先代まで里修験として活動していたが、188体育4(2022)年現在、現当主は宗教活動を行っていない。
里修験の活動は、その活動範囲?内容が多岐にわたるため、神職や檀那寺との関係も、里修験と地域社会の関係を探る上で重要である。しかし研究史を概観すると、地域社会や他の宗教者側からのアプローチに乏しい。さらに、地域の民俗文化と密接な関わりをもつ里修験の“断絶”は、地域に何らかの変化をもたらしたはずである。本研究では、栃木県日光市瀬尾地区の仙学院を事例とし、その断絶による地域社会の変化と背景を探る。また、当地区内で活動する他の宗教者と仙学院の関係にも焦点を置きつつ、仙学院が当地区内で担った役割を、4つの観点から検討する。以上により仙学院を多角的?多面的に捉え、当地区における里修験の社会的役割を体系的に把握し、地域社会と共に生きる「里修験」の変容を考察する。
宮家(1983)によれば、近世期の地域社会において【図1】の3者が役割を相互に重複させながら、各機能を果たしていたという。以上をふまえ、各者の歴史や当該地区での役割を分析すると、同地区内で活動する宗教者が機能分化の形態をとりつつ、時に役割を補完し合いながら共存する実態が明らかになった。また、仙学院が当地区内で担った役割を多面的に探ると、鎮守と檀那寺では補えない宗教的役割、教育的役割、医療的役割、指導的役割の4点をカバーしていた。仙学院はこれらによって修験道廃止令を乗り越え、現在まで存続しえたとも考えられる。
さらに、仙学院が断絶に至った背景を、祭事の様子や諸資料から分析した。仙学院は、生活の現代化が進むなど、宗教的役割に対するニーズが薄れゆく流れの中にあった。里修験は存続のため地域の要求に応える一方、自らも地域の支えによって活動してきた。地域社会の変化と同時に、里修験の在り方にも変化が求められる。この変化は、瀬尾地区のみならず、全国的に起こりつつある現代的課題であろう。
岡陽一郎 准教授 評
加藤彩花さんの論文「現代に生きた里修験-地域社会における宗教生活の変容と里修験の社会的役割-」は、ふるさとへの愛情と問題意識が随所に感じられるものでした。題材となるのは、栃木県日光市瀬尾地区に最近まで残っていた、里修験の仙学院です。
仙学院は、近代初頭に断絶を免れた数少ない里修験の例として、すでに研究の対象となっていましたが、近年断絶してしまいました。そして断絶後の同院を視野に入れた研究は、これまでありませんでした。加藤さんはここに目をつけました。
論文では地域社会で仙学院の持つ社会的役割が分析されます。妹尾地区では近世村落社会における各種宗教のありよう-地域内の宗教的ニーズに対し、仙学院を含めた各種宗教施設が分担して対応する-が、最近まで生きていました。次いで仙学院の活動を調べ、同院が宗教以外の諸々の地域ニーズに対応できていたがゆえ、近年まで存続していたとしました。それが断絶したのは、社会の近代化に伴う地域の変化により、同院の必要性が薄れていってと結論づけています。加藤さんの分析は、歴史や民俗学の枠を超え、現代社会論や文化論にも及んでいきます。
この論文では、文献資料(歴史?民俗)?聞き取り調査?踏査?金石文と、各種資料が駆使されています。研究手法や問題意識の点で、歴史遺産学科での学びの持つ可能性や有効性を示す、好論文となっています。今後の研究が楽しみです。