歴史遺産学科Department of Historic Heritage

高橋千夏|山形に遺る石橋?山形県における明治期の土木遺産について?
山形県出身
北野博司ゼミ

 明治期における山形の近代化産業遺産には隧道の開削や道路整備、橋梁の架設、擬洋風建築などが挙げられる。この近代化を進めるにあたって事業推進に尽力した初代山形県令三島通庸は自身の故郷である薩摩藩から石工集団や土木技官を招聘し、山形県内の交通網の整備を行なった。整備事業のうち架設した65基の橋梁の中には、当時本州でも徐々に広まり始めた石造アーチ橋いわば眼鏡橋12基が架けられた(図1)。三島県令が退任後に架けられた石橋も含めて計21基架けられたことが明らかになっている。しかし21基あった石橋は交通環境の変化や地域の声によって撤去?流失や架け替えしたものもあるが今日に至るまで14基が現存している。そのうち1基は愛知県明治村に移築されている。
 そこで本研究では山形県内に遺る石橋を研究対象とし、その特殊な外観に着目した研究を行う。まず外観的特徴に着目した研究を進める前に県内に架けられた石橋の情報を『山形県史 資料編2明治初期(下)三島文書編』等の自治体史から調べて細かく整理をする。その次に石橋の石積みや高欄を含む外観的特徴について比較?検討をする。石橋の外観の分析に関して絵葉書や絵画史料を活用し、一部の現存する石橋はフォトグラメトリによる3D計測とオルソ画像(図2)の作成を行った。また、文化的価値を持つ形態意匠に地域性が表れるとして石橋の地域性や外観等を通して山形の土木技術史の一端を明らかにすることが目的とした。
 石橋は架設当時に撮影された古写真や絵葉書、絵画史料から元に分析したことを石橋の構成する要素であるアーチの形態、高欄、親柱、石積みの4つに分類した。その要素をグラフとしてまとめてみると様々な地形を含んだ環境が見えてくる(図3)。山形はほとんど山に囲まれた環境が前提だがそれぞれの橋が架かる土地の異なる地形、河川、そこに住む人々の事情、石工のこだわりと熱意など外観的特徴からその橋の環境の一端を知ることができるのである。石橋は九州では身近な存在にあたるものの、全国に遺る石橋は少なく、山形でも近代化へとつながる礎としてこの石造アーチ橋が10基以上遺るのは珍しいだろう。今後とも近代化産業遺産として保存活用をどうしていくべきか考える必要がある。

1. 県内の石造アーチ橋?南陽市[吉田橋]

2. オルソ画像[堅磐橋]

3. 要素別形式分類グラフ