秋も深まったころ自宅に一包の宅急便が届いた。
荷物は小豆島の民宿のおかみさんからだった。オリーブの新漬けとオリーブオイル。学生たちにも分けてくれと書いてある。この夏に4人の学生と5泊6日で島にある大坂城石垣石の石切場跡の調査に行った。その際にお世話になったのがこの民宿だった。荷物には手紙が添えられていた。
民宿の晩飯は毎日旦那さんが釣ってきてくれた魚が食卓に並ぶ。サラダをはじめどんな料理にもオリーブオイルが合うことを知った。一人暮らしで胃が小さくなった学生にはぜいたくすぎるほどのにぎやかな食卓だった。
現地にいるときからおかみさんはもう民宿はやめる、あなたたちが最後のお客さんだと言っていた。明るくさばさばしていて、気遣いのおかみさん。元石工で親分肌の旦那さん。2018年正月に放映されたNHK?BSプレミアム「風雲!大歴史実験▽大坂城の巨大石垣 豊臣?徳川天下統一の秘密」では修羅に載せた12トンの巨石を引くリーダーとして活躍した。今でも昼間は船に乗り、夜は愛猫と床を共にする。学生たちにとってこの民宿が忘れがたい思い出となったのは言うまでもないが、泊まった宿のおかみさんから感謝の手紙をもらうとは思いもしなかった。苦労話をずいぶん聞いていたので、民宿始めてからのことを思い出しながら書いてくれたのだろう。人情に触れた瞬間だった。
近年は新型コロナウィルスの流行で、どこの大学も集団での合宿調査は取り止めるか、規模を縮小している。今の3年生は入学直後から感染症対策に翻弄され、「密な青春」とは程遠い188体育を強いられてきた。自室からのリモート授業、互いに距離を意識しながらのグループワーク。学生同士の接触が減ってきたことを当たり前のように受け入れているようにみえる。就活ではオンラインをフル活用した情報収集、リモートによるインターンシップや選考に臨んでいる。オンライン会議やリモートワークが当たり前になった今、この3年間がポストコロナ社会への適応期間だったとすればあながち空虚で不毛に時を過ごしたと悲観することはない。
それでもやっぱり、仲間とともに汗をかき、同じ釜の飯を食う体験をさせてやりたい。古い人間はそう思う。互いの体温が感じられ、機微に触れられる距離で、時間と空間を共有する。赴任以来20数年、発掘現場等でやってきたことは変えられない。
昨年度の3年生は鶴岡市の寺院で庄内藩主酒井家墓所の調査を行ったが、宿泊できたのは数日、あとは片道1時間半を車で往復した。わずか2週間であったが、1か月ほどの疲労感があった。今年度の調査も、抗原検査による陰性確認、宿泊は個室、レンタカーの乗車人数は定員の半分と厳しい条件をクリアしながらなんとか実施した。仙台から神戸に飛び、姫路でレンタカーを借りてお城を一周。姫路港からフェリーで小豆島に渡った。台風11号の影響で翌日の島のフェリーは終日全便欠航と決まっていた。海は荒れはじめていたが幸いにも島に上陸でき、初日は小豆島町教育委員会との打ち合わせと現場の下見。翌朝、吹き荒れる暴風のなかで調査が始まった。
小豆島のことはこのブログ でも何度か書いたことがある。
ここには400年前の大坂城石垣の石切場跡があって、これらは日本遺産「知ってる? 悠久の時が流れる石の島~海を越え、日本の礎を築いたせとうち備讃諸島~」(小豆島町?土庄町?丸亀市?笠岡市)の構成資産になっている。毎年関連のワークショップやイベントが開かれ、自身が評議員を務める「文化財石垣保存技術協議会」の技能者研修会もここで実施している。私が通っているのはそのためであるが、ここに来るといつも記憶に残る出来事や出会いがある。
今回は町教委の協力を得て大坂城の石切場(国指定史跡)の一つを測量した。対象面積は約1,500㎡。長いロッドの先にデジカメを付け、80%ラップさせながら地表をスマホでリモート撮影する。1,000枚ほどの写真から専用ソフトで三次元画像を生成し、水準測量のデータと併せて地形図を作成した。また、石を割るための「矢穴」痕がある石材を100個確認し、これらを1点ずつ観察して石材カルテを作成した。上空に障害物がない場所だと難なくできる作業もここは照葉樹の森。撮影用ポールを高く上げると樹木の葉っぱに隠れて地上の石が写らない。頭でわかっていても初めての作業、学生たちは四苦八苦しながらなんとかやり遂げた。石垣の角に使う直方体状の「角石」が30点余りあり、石に刻まれた識別マーク(刻印)から、ここは特定の石工グループが集中的に角石を切り出した石切場だということが分かった。
小豆島には徳川期大坂城の石切場が多数存在する。工事には西国?北国の大名60家が動員され、そのうち8つの大名家が小豆島で石材を調達した。今回調査したのは東海岸にある筑前?黒田家が拓いた石切場である。現在も山の緩斜面に長さ2.5~3m、小口面90㎝四方、重さ4~5トンの直方体の石がごろごろ転がっている。
素材となる石を「種石」といい、周りの土を鍬で掘って露出させる。石目をみて割りたい所に墨を打ち、下取り線に沿ってノミ(鑿)とセットウ(石頭)で矢穴を掘る。掘りあがった矢穴に鉄の「矢」をさしてゲンノウ(玄翁、重さ15~20kg)で一本ずつ打ち込んでいく。矢締めという。目的の形なるまで石を回転させながらこれを繰り返すのである。角石だと長辺に25個ほどの矢穴がある。現代の石工は矢穴1個掘るのに30~40分かかる。
当時は大名家が動員した足軽や武家の奉公人らが作業に従事していた。石垣石は加工が終わると正面に「刻印」と呼ばれるマークを入れ、「修羅」というソリに載せて斜面を下ろした。平地では修羅に「コロ」と呼ぶ丸太を敷いて引き、波止場でロクロ船を利用して船積みした。底の浅い「段平船」で瀬戸内海を帆走、淀川の河口から入って大坂城近くで陸揚げした。石切場の石材は、本来は天下人のお城で日の目をみるはずだったのに、島に残されてしまったので「残念石」と呼ばれている。土庄町にある道の駅「大坂城残石記念公園」 では豊前?細川家が切り出した石材が大坂城の方を向いてずらりと並んでいる。石が「残念」に思ったかどうかは知る由もない。
調査成果は報告書に譲るが、学生たちは現地の見学者向けに「史跡探訪マップ」を制作した。400年前の石切り、石引きがイメージできるようにイラストを入れているのが特徴だ。観音折り8ページで現地においてもらう予定である。
毎日現場作業だけではもったいないので、終盤1日を休日として島内の文化財を見て回った。我々の世代が小豆島で思い出すのは、岬の分教場「二十四の瞳」である。壷井栄の小説が映画化、テレビドラマ化されている。おりしも「海の復権」をテーマとした瀬戸内国際芸術祭2022が開催されていて、小豆島もいたるところに屋外作品が置かれていた。
実は12月後半にも学生2人を連れて2泊3日で史跡の補足調査に行ってきた。この時は民宿ではなく近くにある一軒家の「民泊」を利用した。この週末は今年一番の寒気に覆われ、朝晩は氷点下の寒さとなった。現場を上がった後、鍛冶作業の火が恋しくて石工さんたちの技能研修会に合流、夜も旅館にお邪魔させてもらった。学生と一緒だった民泊もまた思い出深い宿となったが、長くなるのでこの辺にしておく。帰りしなに民宿のおかみさんに挨拶に行ったら、楽しく女子会中だった。
さて、来年はどんな出会いがあるだろうか。
(文?写真:北野博司)
BACK NUMBER:
#01 プロローグ
#02 タイ?ラオス旅から、危機との向き合い方を考えた
#03 なぜ、旅先で髪を切りたくなるのか―タイ?ラオス旅
#04 盛夏を普通電車で行く
#05 初秋の久松山?鳥取城跡に想う
#06 お城と動物園
#07 石の声を聞く-盛岡城跡の「双子石」
#08 石垣のArt & Design
#09 愛の行方-米沢城跡の今に思う
#10 北の旅、南の旅
#11 旅の宿
#12 秋に「塞王の楯」を読んで、春に“マイラー”になった話
#13 猫の足の裏、人の足の裏
関連ページ:
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北野博司(きたの?ひろし)
富山大学人文学部卒業。文学士。
歴史遺産学科教授。
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専門は日本考古学と文化財マネジメント。実験考古学や民族考古学という手法を用いて窯業史や食文化史の研究をしている。
城郭史では遺跡、文献史料、民俗技術を駆使して石垣の構築技術の研究を行っている。文化財マネジメントは地域の文化遺産等の調査研究、保存?活用のための計画策定、その実践である。高畠町では高畠石の文化、米沢市では上杉家家臣団墓所、上山市では宿場町や城下町の調査をそれぞれ、地元自治体や住民らと共に実施してきた。
自然と人間との良好な関係とは、という問題に関心を寄せる。
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